わたしたちの御父の隠れた命を生きる(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ6:1 あなたがたは、人に注目されようとして、自分の義を人の前で行な うことがないように注意しなさい。そうでないと、あなたがたは、天におられる あなたがたの父の褒賞を受けることはない。 イザヤ45:15 イスラエルの神、救い主よ。まことに、あなたはご自身を隠す神(新改訳)。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第2編) 宇宙は、神が隠れていること、神がひそかであることを示しています。彼は多く の事を行なわれたのですが、人々は彼がそれを行なったことに気づいていません。 わたしたちは神が行なわれた事を見たかもしれませんが、わたしたちのだれも彼 を見ませんでした。なぜなら、彼は常に隠れており、常にひそかであるからです。 神の命はそのようにひそかで隠された性質のものです。もしわたしたちが自分の 命で人を愛するなら、この命は人の前でそれを誇示することを求めるでしょう。 しかし、神の愛によって人を愛するなら、この愛は常に隠れたままでしょう。わ たしたち人の命は、誇示すること、公に見せびらかすことを愛しますが、神の命 は常に隠れています。 偽善者とは、内側に何もないのに外側の現れを持つ人です。彼が持っているすべ てのものは、単なる外側の見せかけです。内側には何の実際もありません。これ は絶対に神の性質と彼の隠れた命とは反対のものです。神は内側に多く持ってお られますが、わずかに現されているにすぎません。この神聖な命によって生きる なら、わたしたちは多く祈っても、人はわたしたちがどれほど多く祈ったか、わ かりません。わたしたちは多くを与えて人を助けても、わたしたちがどれほど与 えているか、だれも知らないでしょう。わたしたちはしばしば断食しても、これ も人に知られないでしょう。わたしたちは内側に多く持っていても、ごくわずか しか現されないでしょう。これが、義なる行為を行なうことでの王国の民の性質 です。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(一)」(1997 年版)メッセージ第21編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。