わたしたちの衣としてのキリスト ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ9:16 だれも、縮ませていない布切れを古い衣に継ぎ当てはしない。なぜ なら、それはその衣を引き裂き、破れはもっとひどくなるからである。 ルカ5:36 ……「だれも布切れを新しい衣から引き裂いて、古い衣に継ぎ当ては しない。そんなことをしたら、新しい衣を引き裂くことになり、また、その新し いものから取った布切れも、古い衣に合わない」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 縮ませていない布切れは、未処理、未加工の真新しい一片の布としての、受肉か ら十字架までのキリストを象徴します。ところが、ルカによる福音書第5章36節 の新しい衣は、彼の十字架で「処理」された後の、新しい衣服としてのキリスト を象徴します。キリストはまず、新しい衣を仕立てるための縮ませていない布き れでした。その後、死と復活を通して、彼は神の御前でのわたしたちの義として の、わたしたちを覆う新しい衣に仕立てられました。それは、わたしたちが神に よって義とされ、神に受け入れられるためです(ピリピ3:9)。 古い衣に継ぎ当てした、縮ませていない布切れは、縮む力で衣服を引き裂くので、 その破れをさらにひどくします。古い衣に縮ませていない布切れを継ぎ当てする ことは、キリストが地上で人としての生活において行なわれた事をまねることを 意味します。これは、今日の近代主義者たちが企てていることです。彼らはイエ スの人としての行為をまねて、自分たちの行ないを改善するだけです。彼らは、 神が十字架につけられたイエスを、自分の贖い主として信じようとしません。ま た、復活したキリストを、神の御前での彼らの義として彼らを覆うための新しい 衣として信じようともしません。 主の意図は、ご自身を縮ませていない布切れとして与えることではなく、完全な、 仕上がった衣、わたしたちが義として着て神の御前に義とされることができる衣 として与えることでした。彼は死と復活の後、わたしたちが着て彼の婚宴に出席 することができる仕上がった衣とされました。ですから、彼は花婿であるだけで なく、わたしたちに彼の婚宴の祝宴へと参加する資格を与える婚宴の衣でもあり ます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(二)」(1997 年版)メッセージ第28編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。