エルサレムを去って、ベタニヤに泊まる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ21:15 しかし、祭司長たちや聖書学者たちは、イエスがなされた不思議 なわざや、子供たちが宮の中で叫んで、『ダビデの子にホサナ』と言っているの を見て、憤慨した。(17節)イエスは彼らを後に残し、都から出てベタニヤへ行き、 そこに泊まられた。(18節)朝、イエスは都へ戻る時……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 主イエスがわたしたちの中に入って来て、わたしたちの霊を清めた後、わたした ちは、主がわたしたちから離れたように感じるかもしれません。それはちょうど、 主が宮を清めた後に、エルサレムを去ってベタニヤへ行かれたようにです。あな たは次のように言うかもしれません、「これはわたしの経験ではありません。わ たしの経験では、主イエスはわたしの霊を清めた後、わたしと共にいてください ます」。もしこれがあなたの経験であれば、あなたはマリヤ、マルタ、ラザロ、 シモンのような、イエスを愛する者の一人であるに違いありません。しかしなが ら、多くのクリスチャンは、キリストを彼らの中に受け入れ、霊の清めを経験し た後、彼を愛しません。ですから、彼らの経験では、主は彼らを離れて別の場所、 ベタニヤと呼ばれる場所に泊まられるのです。 新約では、ベタニヤに二つの家があります。すなわち、マリヤ、マルタ、ラザロ の家と、らい病の人シモンの家を見ます。これらの愛すべき人たちはみな、主イ エスを愛する者でした。主は地上の生涯の最後の週、毎日エルサレムへ行きまし たが、毎晩エルサレムから出てベタニヤに泊まられました。エルサレムは、彼が 検査され、テストされ、ほふられた場所でした。しかし、ベタニヤは彼が泊まら れた場所でした。 わたしたちはエルサレムの人であるべきではなく、ベタニヤの愛する者であるべ きです。もし主イエスがあなたの中に入って来て、あなたの霊を清められ、それ でもあなたが依然として彼を愛さないなら、それは、あなたがエルサレムの人々 の間にとどまっていることを意味します。あなたはベタニヤの愛する者の一人で はありません。彼はエルサレムで宮を清めますが、そこに泊まられません。そう ではなく、彼は町を出て、ベタニヤに泊まられます。これは何と意義深いことで しょう! ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(三)」(1997 年版)メッセージ第56編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。 *10月8日(土)の分の配信が遅れましたことをお詫び申し上げます。