主のために目を覚ましながら、日々の義務を正しく顧みる(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ24:40 その時、二人の人が畑にいると、一人は取られ、一人は残される。 (41節)二人の女がうすをひいていると、一人は取られ、一人は残される。(42節) だから、目を覚ましていなさい。あなたがたの主が来られるのがいつの日か、あ なたがたはわからないからである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 聖について語り合う人が必ずしも聖なのではありません。時には、ある姉妹たち が聖について語れば語るほど、ますます聖くなくなります。そのような姉妹は料 理(うすをひくこと)にもっと多くの時間を費やし、すばらしい食事を夫、子供た ち、接待する人たちに提供するほうが良いです。これを行なう姉妹たちは聖でし ょう。ある姉妹たちは、聖であることについてどのように交わりを持つかを知っ ていますが、どのようにうまく料理をすべきか知りません。これらの姉妹たちが 聖であることについて語れば語るほど、夫や子供たちはますます聖でなくなりま す。彼女たちは聖について語りますが、自分の家族を正しく顧みません。 原則は、仕事をしている兄弟たちについても同じです。兄弟は聖を語って、自分 の仕事を無視すべきではありません。もしそうするなら、彼は解雇されるでしょ う。わたしは若かったころ、わたしたちが祈ったり聖書を読んだりしている間に 携え上げられたら、どんなにすばらしいだろうと聞かされました。しかし、主イ エスはこのように語っておられません。そうではなく、主は、二人の人が畑で働 いており、二人の女がうすをひいていたと言っておられます。彼らは断食し、祈 り、聖書を読んでいたのではなく、日常の働きをしていたのです。主イエスは確 かにはっきりした目的でこの言葉を語られました。わたしたちが彼の来臨を待ち 望み、携え上げられるのを期待する時、日々の義務に極めて忠信でなければなら ないことを、彼は示したかったのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(三)」(1997 年版)メッセージ第63編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。