力は神に対する献身からやって来る ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ6:13 あなたがた自身を死人の中から生きている者として、神にささげ、 そしてあなたがたの肢体を義の武器として、神にささげなさい。(19節)あなたが たは、自分の肢体を奴隷として不潔と不法にささげて不法に至ったように、今や 自分の肢体を奴隷として義にささげて、聖別に至りなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― もしわたしたちが神の言葉を注意深く読むなら、神はただ一種類の人にのみ霊的 命と光を与えられることを、わたしたちは見いだします。これらの人々とはだれ でしょうか? これらの人々とは、神によって用いられるという心の願いを持っ ている人です。同じことが霊的力についても言えます。霊的力は外面のものでは ありません。霊的力はすべて、神に対する人の心の願いの結果として、また神に 対する人の献身の結果として来るものです。真の力とは、神に対する人の心に基 づくものであり、神に対する人の愛に基づくものです。旧約において、サムソン はとても力ある者でした。彼の敵であるペリシテ人は、彼の力の源を知りません でした。彼らはデリラを通して、サムソンの力が髪の毛にあることを見いだしま した。いったん彼の髪の毛が切られると、彼は力を失いました(士16:15-17)。彼 の髪の毛とは何でしょうか? それはナジル人の髪の毛でした。ナジル人とは、 完全に神にささげられた者です。真の霊的力のすべては、神に対する献身からや ってきます。もし人が献身について徹底していなければ、その人は依然として不 自由であり、力がないのです。しかし、もし人が主の御前で徹底的な献身を持つ なら、その人は力強くなります。わたしたちがどれほど求めているかにかかわら ず、力は献身からやって来るということを、わたしたちは常に覚えていなければ なりません。 仮に、神がご自身の御手を一人の姉妹の上に置かれるとします。彼女は主と長い 間、争いますが、主に服従しません。彼女は進んで他の人と一緒に祈ろうとしま すが、彼女の状態は健康的ではありません。なぜなら、彼女は神の要求を満たし ていないからです。どれだけ彼女が他の人を助けようとしても、彼女はそれを突 破することができません。ある日、神の愛が彼女に迫ると、彼女は神に服従しよ うと涙を流して決心します。いったん彼女が神の要求に答えるやいなや、彼女が 他の人に与える助けは、他の人に触れるようになります。こういうわけでわたし たちは、力は献身からやって来ると言うのです。わたしたちが献身すればするほ ど、さらに多くの力を神はわたしたちに与えてくださいます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第37巻「一般的なメッセージ(一)」(1998年版)メッセー ジ第28編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。