新しい人の中ではキリストがすべてであり、すべての中におられる(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ3:10 新しい人を着たのです。……(11節)その新しい人には、ギリシャ 人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開人、スクテヤ人、奴隷、自由人はあり得ませ ん。キリストがすべてであり、すべての中におられるのです。 1コリント12:12 それは、体が一つであっても多くの肢体があり、体のすべて の肢体が多くあっても一つの体であるように、キリストも同様だからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 11節の「すべて」という語は、新しい人を造り上げるすべての肢体のことを言い ます。キリストはこれらすべての肢体です。またキリストはすべての肢体の中に おられます。こういうわけで、教会の中にはわたしたちのための余地はありませ ん。どんな国民性にも余地はありません。新しい人の一部分である者たちとして、 わたしたちは自分たちを中国人、アメリカ人、ドイツ人、あるいは他のどんな国 籍の者とも考えるべきではありません。自分はだれそれであるとさえ言ってはな りません。新しい人の中では、キリストがすべてであり、すべての中におられ、 そしてあなたは新しい人の一部分なのですから、あなたはキリストの一部分です。 新しい人のそれぞれの肢体、それぞれの部分は、キリストです。 新しい人の中にはどんな天然の人もあり得ないと言うことでは、11節はとても強 烈な節です。文脈によれば、第3章10節の新しい人が新しい自己を意味していな いことは、明らかです。なぜなら新しい人は、多くの異なる文化的背景から成る 信者たちから形成されているからです。これは、いわゆる新しい自己のことでは ありません。疑いもなくここの新しい人は、ひとりの団体の人、教会、キリスト のからだです。多くの異なる種類の人たちが教会を構成していますが、みなキリ ストの一部分です。彼らはもはや天然の人ではありません。新しい人の中では、 キリストがすべての人です。新しい人の中では、キリストがすべての人の中にお られます。キリストがすべてであり、すべての中におられるのを見ることは、何 というすばらしいビジョンでしょう! ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(三)」(1980年版) メッセージ28から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。