ただ忍耐するだけでなく、喜ぶ ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ5:11 人々がわたしのゆえにあなたがたをそしり、迫害し、偽りを語って、 あなたがたに対してあらゆる邪悪なことを言うとき、あなたがたは幸いである。 (12節)喜び歓喜しなさい……。 ピリピ4:4 主の中でいつも喜びなさい。わたしは繰り返して言います。喜びなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 他の人がわたしたちをそしる時、わたしたちはそれを忍耐するかもしれません。 他の人がわたしたちを迫害する時、わたしたちは言い返さないかもしれません。 しかし、忍耐し、口を閉ざすだけでは、十分ではありません。もしわたしたちが 忍耐し、口を閉ざすだけであるなら、わたしたちはすでに敗北しています。この 世の人も忍耐し、口を閉ざすことができます。仏教の僧侶も同じことをすること ができますし、儒者も同じことをすることができます。わたしたちは彼らと異な っているべきです。他の人がわたしたちをそしる時、わたしたちは「主に感謝し、 賛美します」と言うことができるべきです。わたしたちは、他の人が自分をそし ることを喜びとするべきです。他の人がわたしたちを迫害する時、わたしたちは 主に感謝し、賛美し、このことを喜びとすべきです。もしわたしたちの勝利が真 の勝利であるなら、わたしたちは喜び、歓喜すべきです。もし勝利が、単にそし りを忍耐することにすぎないのであれば、それは単なる人の働きにすぎません。 人の働きは、抑制という結果になります。しかし、主のあらゆる働きは、喜びと 歓喜という結果になります。 もしわたしたちがまだそれがわからなければ、彼(パウロ)は今一度、わたしたち が喜ぶべきであることを繰り返すでしょう。神が与えてくださる命は、喜びの命 です。喜ぶことは、クリスチャンの日々の生活です。患難や試練はあるかもしれ ませんが、依然として喜びがあります。喜ぶことの反対は、思い煩うことです。 多くの人は、自分の子供たち、金銭、商売のことで思い煩います。しかし、主の 御言は言います、「何事にも思い煩うことなく」(ピリピ4:6)。わたしたちは、 思い煩うことは正しいことであると考えます。しかし主は、「何事にも思い煩う ことなく」と言われます。こういうわけで、わたしたちはいつも喜ぶべきです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第24巻「勝利を得る命」(1997年版)メッセージ第10編か ら引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。