客観的な信仰と主観的な信仰(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ14:20 その日には、わたしがわたしの父の中におり、あなたがたがわた しの中におり、わたしがあなたがたの中にいることを、あなたがたは知るであろ う。 15:4 わたしの中に住んでいなさい。そうすれば、わたしもあなたがたの中に住 む。枝がぶどうの木の中に住んでいなければ、自分だけでは実を結ぶことができ ないように、あなたがたもわたしの中に住んでいなければ、実を結ぶことはでき ない。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちがさらに多くの信仰、すなわち、さらに強く、さらに広く、さらに大 きな信仰を持つためには、さらに多くの展望を必要とします。こういうわけで、 わたしたちは聖なる御言葉をさらに多く知り、さらに多くのメッセージを聞いて、 さらに広い展望を与えられる必要があります。そうすれば、わたしたちはさらに 多くのものを見るようになり、それがさらに大きな信仰を生み出すのです。この ような信仰は、一方では神をわたしたちの中へともたらし、もう一方ではわたし たちを神の中へともたらします。言い換えれば、そのような信仰は常に有機的結 合を生み出すのです。 どのようにして神が信仰を通してわたしたちの中へともたらされるのか、またど のようにしてわたしたちが神との有機的結合の中へともたらされるのかについて、 写真を例証に使ってもよいでしょう。カメラで写真を撮る時は、シャッターを押 します。すると、光がその景色をカメラの中へともたらして、フィルムに達しま す。このようにして、その光景、その展望がフィルムに撮影されます。同じ原則 で、信仰は神をわたしたちの霊の中にもたらします。そしてわたしたちの霊はフ ィルムにたとえられます。信仰がわたしたちの中で生み出される前、わたしたち の霊は空っぽです。しかし、信仰が生み出された後、神はわたしたちの霊の中に もたらされます。今やわたしたちの霊はもはや空っぽではありません。それどこ ろか、神ご自身の何かがわたしたちの霊の中に写し込まれたのです。神はわたし たちの霊の中にもたらされ、わたしたちは神の中にもたらされます。自然に、わ たしたちと神との間には有機的な結合が生じるようになります。 真の信仰は決してむなしくありません。信仰は生きています。信仰は、神をわた したちの中にもたらし、わたしたちを神の中にもたらし、こうして神とわたした ちを一つにします。この生ける信仰は特別な方法で働きます。これが、パウロが 信仰の働きと言っているものです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(一)」 (1986年版)メッセージ3から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。