偉大な事柄:父なる神の中にいる(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ1:1 ……父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教 会へ。恵みと平安があなたがたにありますように。 ヨハネ14:20 その日には、わたしがわたしの父の中におり、あなたがたがわた しの中におり、わたしがあなたがたの中にいることを、あなたがたは知るであろ う。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 教会が神のものであるとか、キリストのものであるとか言うのは、むしろ簡単な 事柄です。しかし、教会が父なる神の中に、また主イエス・キリストの中にある と宣言することは、一層奥深く、一層深遠です。例えば、わたしたちがある人の ものであると言うことは一つのことです。しかしながら、その人の中にあると言 うことは、全く別の問題です。人間的に言えば、だれかのものであることは、あ り得ることです。しかし、その人の中に文字どおりにいることはできません。有 機的な方法によってのみ、また命の方法によってのみ、教会は三一の神の中にあ り得るのです。わたしたちは命の方法を十分に理解していません。しかし、神は それを完全に理解しておられます。それだけでなく、神だけが命の方法によって 物事を行なうことができます。神は有機的な方法によって、また命の方法によっ て、教会が三一の神の中にあることができるようにされました。 教会が単に神のものであるためには、神はわたしたちの創造主であるだけで十分 です。しかし、教会が神の中にあるためには、神はわたしたちの父とならなけれ ばなりません。またわたしたちは、彼と命の関係を持つ必要があります。それと 同様に、教会が主イエス・キリストの中にあるためには、キリストはわたしたち にとって主またイエスとならなければなりません。信者たちは、神の教会、キリ ストの教会、神の集会というような表現に、特に今日の宗派の名称として使われ ているような方法においては、なじみ深いかもしれません。しかし、教会が三一 の神の中にあることを認識した人は、多くいません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(一)」 (1986年版)メッセージ7から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。