油塗る霊としてのキリストを経験する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒2:36 こういうわけで、イスラエルの全家は、確かに知っておきなさい。あ なたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主またキリストとされたのです。 1コリント15:45 ……最後のアダム(キリスト)は、命を与える霊と成ったのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― キリストという言葉は、「クリストス」というギリシャ語の英語化した形です。 このギリシャ語は、ヘブル語の「メシヤ」に相当し、油塗られた方を意味します。 今日わたしたちのキリストは、油塗られた方であるだけでなく、油塗る方でもあ ります。彼ご自身が命を与える霊と成られました。復活の中でキリストは、油塗 られた方でもあり、また油塗る霊として、油塗る方でもあります。 経験においてわたしたちは、今日キリストが油塗る方であることを知っています。 仮に、ある人が苦しんでおり、また深く悲しみ、意気消沈しているとします。彼 の感覚によれば、人生は生きるに値しません。その時、彼は福音を聞き、自分に 対する神の愛を知ります。彼は、どのように主イエスが自分のために死んで復活 されたか、そして自分が「おお、主イエスよ」と呼んで受け入れるのを主が待っ ておられるかについて、聞きます。そこで彼は、「主イエスよ、あなたに感謝し ます」と言います。彼は、自分の悲しみがなくなったことを見いだします。内側 で彼は、水が注がれた感覚を持ちます。この水注ぎは、主の油塗りであって、そ れは平安、安息になり、主によって愛されており顧みられているという感覚にな ります。これが、油塗る方としてのキリストを経験することです。 わたしたちが主の御名を呼び求める時、主のパースンがわたしたちにやって来ま す。ちょうどわたしたちが人の名を呼ぶとその人が応じるように、わたしたちが 主の御名を呼ぶ時、主イエスご自身が応答してくださいます。主の御名はイエス ・キリストであり、彼のパースンはその霊です。こういうわけで、わたしたちが 主イエスの御名を呼び求める時、その霊がやって来るのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(一)」 (1986年版)メッセージ9から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。