正常な生活 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ1:9 なぜなら、彼ら自身が、わたしたちのことを言い広めている からです。すなわち、わたしたちがどのようにあなたがたの所へ入って行ったの か、また、あなたがたがどのように偶像から神に向きを変えて、ひとりの生ける まことの神に仕えるようになったのか……。 ヨハネ2:23 ……多くの人は彼が行なわれたしるしを見て、御名の中へと信じた。 (24節)しかし、イエスはご自身を彼らに任せられなかった。なぜなら、彼はすべ ての人を知っておられ……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― テサロニケ人への第一の手紙でパウロは奇跡について語っていません。彼は、福 音がテサロニケ人たちに来たのは奇跡や不思議やいやしにおいてであったとは言 っていません。パウロは、超自然的な事や奇跡的な事を強調する代わりに、福音 の宣べ伝えの要因としての自分の生活を取り上げています。幾世紀もの間、人の 思いは、現実離れした、奇跡的な、超自然的な事柄に興味を持ってきました。し かしながら、奇跡的な事柄は長続きしません。しかし、正当な生活によって遂行 される働きは長続きします。 神の救いによって、わたしたちは正常な生活をすることができます。これは福音 の一つの強力な証しです。クリスチャンたちは、奇跡的で超自然的な生活をする のではなく、正常な生活を生きるべきです。ですから、教会生活のための正当な 生活は、普通であり、規則正しくあり、正常でなければなりません。そのような 生活の特徴は、偶像から神に向きを変えること、生ける神に仕えること、主イエ スの再来を待ち望むことです。このような生活を持つことは、地上の何ものもわ たしたちを占有していないことを意味します。わたしたちは、すべての偶像から、 神以外のあらゆるものから解放されており、生ける神ご自身によって占有されて います。この生ける神は、わたしたちの日常生活の中で証しされます。わたした ちは、わたしたちの仕えている神が生きておられることを証しする生活をします。 さらにまた、わたしたちのゴール、望み、期待は、地上の事柄と関係があるので はなく、主イエスの再来に焦点付けられています。これら三つの特徴を持つ生活 は、わたしたちの神に対する証しとしての正当なクリスチャン生活です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(一)」 (1986年版)メッセージ12から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。