自分の威厳を固守しない ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ2:6 わたしたちはキリストの使徒として、権威を行使することが できたのですが、人からの栄誉を、あなたがたからも他の人からも、求めること はしませんでした。 1コリント9:12 ……しかし、わたしたちはこの権利を用いませんでした。かえ って、キリストの福音に、少しの妨げにもならないようにと、すべての事柄を耐 え忍んでいます。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 6節は、使徒たちがキリストの使徒たちとしての威厳を固守しなかったことを明 らかに示しています。彼らはいかなる立場も威厳も装いませんでした。彼らは、 自分が使徒であることを忘れ、奴隷として神の民に仕えなければなりませんでし た。彼らは、自分たちがキリストの使徒であるという事実を、他の人たちに思い 起こさせるべきではありませんでした。反対に、彼らは、自分たちが信者たちに 仕えている兄弟であることを心に留めているべきでした。 信者である者も信者でない者たちも、指導する者、長老、使徒を高位の人と考え るかもしれません。しかしながら、地方教会には高位の人というものはありませ ん。高位であるのではなく、わたしたちは互いに仕え合う奴隷です。わたしたち はパウロから、決して威厳を固守したり権威を主張したりしないことを学ぶべき です。夫が長老である姉妹は、自分が長老の妻であるということで威厳を装うべ きではありません。長老の妻は、「ファーストレディ」ではありません。彼女は、 教会に仕える小さな姉妹にすぎません。それだけでなく、彼女の夫は高位の人で はありません。彼は一人の奴隷です。長老として彼が任命されたのは、奴隷とし て教会に仕えるためです。わたしたちはみなこの態度を持つべきです。 パウロは、使徒としての威厳を固守して自分のために何かを要求したりはしませ んでした。威厳を固守したり権威を主張したりすることを拒んだパウロは、わた したちすべての良い模範です。もしわたしたちがこの模範に従うなら、キリスト のからだの中にある死の病原菌、すなわち地位を求めるという病原菌を殺すでしょ う。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(一)」 (1986年版)メッセージ12から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。