信仰の二つの面――客観的な面と主観的な面(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ3:2 わたしたちの兄弟であり、キリストの福音における神の同労 者であるテモテを遣わしました。それは、あなたがたの信仰のために、あなたが たを確立し、励まして……。 1テモテ1:19 信仰と正しい良心を保って戦いなさい。ある者は、それらを投げ 捨てたために、その信仰について破船してしまいました。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第1編) わたしたちはテサロニケ人への第一の手紙第3章の信仰の意味を注意深く考える 必要があります。2節の信仰は、5節、6節、10節にあるように、聖徒たちの信じ ることを指している主観的なものだけではなく、テモテへの第一の手紙第3章9節、 第4章1節、テモテへの第二の手紙第4章7節にあるように、彼らの信じているもの を指す客観的なものでもあります。信仰のこれら二つの面は、互いにかかわりが あります。わたしたちの信じること(主観的な信仰)は、わたしたちの信じている 事柄(客観的な信仰)から出て来るのであり、またわたしたちの信じている事柄 (客観的な信仰)の中にあります。 教理的に言えば、客観的な面がまず来て、そして主観的な面を生み出します。客 観的な信仰は、わたしたちが救いのために信じる事柄を示します。それは新契約 の内容を含んでいます。こういうわけで、新契約の内容は、客観的な信仰に等し いのです。信仰のこの面は、テモテへの第一の手紙のような書で強く強調されて います。例えば、テモテへの第一の手紙第1章19節は、その信仰について語って います。この節のその信仰は、客観的なものであり、わたしたちの信じる事柄を 指しています。しかしながら、同じ節が「信仰と正しい良心を保って」と語る時 には、主観的な信仰についても述べています。この主観的な信仰は、信じるとい うわたしたちの行為を指しています。 多くの時、クリスチャンは客観的な意味で信仰について語ります。ある人たちは、 あなたの信仰が何であるかを問うかもしれませんが、それはあなたが信じるもの を意味しています。信仰のこの面、すなわち客観的な面は、信じるというわたし たちの行為の問題ではなく、わたしたちが信じている事柄の問題です。この客観 的な信仰は、神の新約エコノミーの内容を含んでいます。 (明日へ続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(二)」 (1986年版)メッセージ14から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。