クリスチャン生活の望み ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ4:13 しかし、兄弟たちよ、眠っている人たちのことについて、わ たしたちはあなたがたに知らずにいてもらいたくありません。それは、望みを持 たない他の人たちと同じように、あなたがたが悲しむことがないためです。 コロサイ1:27 ……あなたがたの内にいますキリストであり、栄光の望みです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 人の堕落のゆえに、堕落した人類には何の望みもありません。未信者が待ち望む 唯一のことは、死です。死が彼らの到着点です。一日また一日と、彼らはその死 を目指して生きているのであり、死への途上にあるのです。ですから、死が彼ら の未来です。 エペソ人への手紙第2章12節でパウロは、未信者たちの望みのない状態を記述し ています、「その当時、あなたがたはキリストから離れ、イスラエルの国籍から 除外され、約束の契約についてはよそ者であり、この世の中で希望もなく、神も ない者でした」。未信者には希望がありません。なぜなら、彼らは神を持ってい ないからです。彼らはキリストから離れており、彼らの生活には神がないので、 彼らには何の望みもありません。彼らを待っている唯一のものは、死です。すべ ての人はこの事を認識しています。そして、それを当たり前のこととしています。 こういうわけで、未信者は自分たちの未来について考えることを好まないのです。 実は、彼らには積極的な未来がないのです。彼らの未来には、死の暗やみが待ち 受けているのです。 キリストを信じる者たちとして、わたしたちは希望に満ちた生活を持っています。 わたしたちの希望は、主の再来です。それだけでなく、わたしたちの希望には、 復活と携え上げも含まれています。復活は命の問題であるだけでなく、命が死に 打ち勝つ問題でもあります。命が死に打ち勝つ時、それが復活です。携え上げは、 復活をも超える事柄です。教会生活のための聖なる生活は、未来のある生活、望 みのある生活です。この望みは、単なる主の来臨ではありません。それは、復活 と携え上げを伴う主の来臨です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(二)」 (1986年版)メッセージ16から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。