ペンテコステ――その霊の満ち満ちた祝福(3) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント5:7 ……というのは、わたしたちの過越であるキリストが、供え物 としてほふられたからです。(8節)ですから、古いパン種をもってではなく、ま た悪意と邪悪のパン種をもってでもなく、純粋と真実である種なしパンをもって、 祭りを守ろうではありませんか。 2コリント3:17 そして主はその霊です。そして主の霊のあるところには、自由 があります。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全4編のうちの第3編) 予表には、過越の祭りとペンテコステの祭りの両方があります。ペンテコステの 祭りは、七週の祭りや刈り入れの祭りとも呼ばれます。刈り入れの祭りは、復活 におけるキリストの享受を予表しますが、過越は、十字架刑における神の小羊と してのキリストを予表します。こういうわけで、過越はキリストの十字架刑のこ とを示しています。キリストの十字架刑は、過越の祭りと呼ばれる一つの祭りと なりました。この祭りにおいて、わたしたちは十字架につけられたキリストを贖 いの小羊として享受します。その十字架刑の三日後、キリストは死人の中から復 活されました。それから五十日後に、昇天されたキリストはすべてを含む霊とし て、すなわち、三一の神の究極的完成として、ご自身を信者たちの上に注がれま した。その霊のあの注ぎ出しが、刈り入れの享受です。 旧約聖書には、過越、すなわち刈り入れの初穂の束のささげ物があり、それから 刈り入れの祭り、すなわちペンテコステがあります。過越に関しては、キリスト はわたしたちの贖いのために十字架につけられて、わたしたちが彼を享受するこ とができるようにしました。キリストの復活の日には、収穫の初穂についての予 表の成就がありました。それから五十日後のペンテコステの日に、良き地の豊か な産物の収穫の享受がありました。それは、キリストが贖われた民の上に天から 注がれた命を与える霊として、彼らの満ち満ちた享受となられることの予表でし た。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(一)」(1988年版)メッ セージ6から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。