イエスと団体的な「わたし」 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒9:4 ……「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか?」。(5節)そこで 彼は言った、「主よ、あなたはどなたですか?」。すると主は言われた、「わた しはあなたが迫害しているイエスである。」 ローマ12:5 わたしたちも数は多いのですが、キリストの中で一つからだであり……。 1コリント12:12 それは、体が一つであっても多くの肢体があり、……キリスト も同様だからです。 エペソ1:22 ……教会に与えられた。(23節)この教会は、キリストのからだであ り、すべての中ですべてを満たしている方の豊満です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― サウロは、イエスが死んで復活されたエホバ救い主であることを見ただけではあ りません。彼はまた、主イエスが彼に従う者たちと一であることを見ました。お そらくサウロは自分自身に次のように言ったことでしょう、「わたしはイエスを 迫害しませんでした。わたしは彼に従う者たちを迫害しました。しかし彼はわた しに、わたしが彼を迫害したと告げました。これは、彼が彼に従う者たちと一で あることを意味しているに違いありません」。このようにして、サウロはからだ を見るに至りました。4節の「わたし」と5節の「イエス」という名には、大きな 意味があります。そしてパウロは、イエスとこの団体的な「わたし」に関して多 く考えたに違いありません。その三日間、彼はわたしとイエスという二つの言葉 を分析していたのかもしれません。それらの日の間、パウロは救いとキリストの からだに関して完全な福音を受けました。団体的なわたし、すなわち、キリスト とからだについてのサウロの経験は、彼に深い印象を与え、キリストと教会に関 する彼の将来の務めに影響を与えたに違いありません。その経験は、彼の務めの ための土台を据えました。ですから、彼はキリストのからだを教えることにおい て非常に力強くありました(エペソ1:22-23、2:16、4:4、16)。彼は新約聖書の中 で「キリストのからだ」という言葉を用いている唯一の著者です。彼がからだに ついて大いに強調したのは、回心の時に彼が団体的なわたしについてのメッセー ジ、すなわち、キリストのからだに関するメッセージを聞いたからです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(二)」(1988年版)メッ セージ26から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。