永遠の命を受け入れるか拒否するか ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒13:46 ……「神の言はまず、あなたがたに語られなければならなかった。 それなのに、あなたがたはそれを押しのけ、自分自身は永遠に命に値しない者と 判断したので、見よ、わたしたちは異邦人に向かうのである」。(48節)そこで異 邦人は、これを聞いて歓喜し、主の言に栄光を帰した。そして永遠の命に定めら れた者たちは、すべて信じた。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 神の言を押しのけることは、そのような者が永遠の命に値しないことを自分自身 で判断したということを証明します。この章に記録されているように、パウロは その宣べ伝えの中で永遠の命について語りませんでした。むしろ彼は、神の御子、 救い主、聖なるもの、また信実なもの、神の恵みについて語りました。しかし今 や、パウロとバルナバは自分たちを退けたユダヤ人について、彼らは自分自身を 永遠の命に値しないと判断した、と言いました。 福音を拒否することは、その人が永遠の命に値しないことの証拠です。福音を信 じることは、その人が神によって永遠の命に定められている、または運命づけら れていることの証拠です。人の救いに対する神の定め、あるいは神があらかじめ 定めることは、神ご自身の主権です。しかしながら、神はやはり人をその自由意 志に任せられます。人が神の救いを信じるか、あるいは拒否するかは、人自身の 決定に任せられています。 わたしたちが永遠の命に定められているかどうかは、福音を拒否するか信じるか によって明らかにされます。もしあなたが福音の言葉を受け入れるのなら、これ は神があなたを永遠の命に定められたことの証拠です。しかし、もしある人が福 音の言葉を拒否するとしたら、これは彼が永遠の命に値しないこと、彼が永遠の 命に定められていないことの証拠です。このことについて、神は権威と裁く権利 を持っておられます。そして人は自由意志を持っています。一方において、神は 割り当て、定める力を持っておられます。もう一方で、人は受け入れたり、拒ん だりすることができます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(三)」(1988年版)メッ セージ38から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。