新約の中で啓示された神 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テモテ3:16 そして確かに、偉大なのは敬虔の奥義です。この方は肉体におい て現され……。 ヨハネ20:28 トマスは彼(イエス)に答えて、「わたしの主、わたしの神よ!」 と言った。 1テモテ2:5 なぜなら、ひとりの神がおられ、また神と人との間にひとりの仲 保者、すなわち人なるキリスト・イエスがおられるからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 今日のクリスチャンの中には、神についてユダヤ人の観念と非常に似た観念を持 っている人がいます。神についてのユダヤ人の観念は、神は神であって、神の中 には人の要素がないというものです。しかし聖書によれば、旧約における神は、 まさに新約の中で啓示された神となられました。旧約では、神は神であるだけで あって、人の要素はありませんでした。しかし、新約では、わたしたちは神・人 を見ます。受肉を通して、旧約の神は人の性質を着て、神・人となられました。 そのようにして、彼は肉体の中で現された神となられました(1テモテ3:16)。 神は、人の処女の中に受胎して、その処女から生まれることによって、神・人と なられました。このようにして、人の要素が彼の神聖な要素に加えられました。 しかしながら、これは、神・人として救い主が二つのパースンを持っていること を意味するのではありません。そうではありません。救い主、主イエスには、二 つの性質、すなわち神の性質と人の性質を持つ一つのパースンがあるのです。こ れを理解するのはとても困難ですが、それにもかかわらず、それは聖書の中に啓 示されている一つの事実です。 わたしたちの救い主は、実際の神であり、真の人です。肉体と成ることを通して、 神の性質も人の性質も失われていません。それどころか、神聖な性質と人の性質 がミングリングされて神・人を形づくっているのですが、神聖な性質と人の性質 はいずれもそのままであり、第三の性質が生み出されることは決してありません。 わたしたちは聖書にしたがって、わたしたちの贖いのために血を流された救い主 が、神・人として十字架上で死なれたことを、はっきりと信じます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(三)」(1980年版)メッ セージ54から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。