嗣業を受ける ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒26:18 彼らの目を開き、彼らを暗やみから光へ、サタンの権威から神に立 ち返らせるのである。それは、わたしにある信仰によって、彼らが罪の赦しと、 聖別された人たちの間での嗣業を受けるためである。 コロサイ1:12 光の中にある聖徒たちに割り当てられた分にあずかるようにと、 あなたがたを資格づけてくださった父に、感謝をささげるように。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちの目が開かれ、サタンの権威から神へと移された結果、わたしたちは 消極面で罪の赦しを得るだけでなく、積極面で嗣業を受けます。この神聖な嗣業 は、三一の神が持っておられるすべて、彼が成し終えられたすべて、彼がその贖 われた民のために行なおうとされるすべてを伴う三一の神ご自身です。この三一 の神は、すべてを含むキリストの中に具体化されています(コロサイ2:9)。この 方は、聖徒たちに彼らの嗣業として割り当てられた分です(コロサイ1:12)。聖徒 たちに与えられた聖霊は、この神聖な嗣業の前味わい、証印、担保、保証です (エペソ1:13-14)。わたしたちは今日、神の新約ヨベルにおいて、前味わいとし てそれにあずかり、享受しているのであり、さらに来たるべき時代に、また永遠 にわたって、完全にあずかり、享受するでしょう(1ペテロ1:4)。レビ記第25章8 節から13節のヨベルの予表においては、主要な祝福は、告げ知らされた解放と、 すべての人が自分自身の嗣業に戻ることでした。ここのヨベルの成就では、暗や みの権威からの解放と神聖な嗣業を受けることも、やはり主要な祝福です。 旧約において、イスラエルの十二部族はそれぞれ嗣業としての良き地の割り当て、 分け前を受けました。良き地は、わたしたちの嗣業としてわたしたちに与えられ たすべてを含むキリストの予表です。こういうわけで、手順を経られた三一の神 の具体化であるキリストは、わたしたちの嗣業です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(四)」(1989年版)メッ セージ69から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。