最高水準の道徳(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テモテ3:16 そして確かに、偉大なのは敬虔の奥義です。この方は肉体におい て現され、その霊において義とされ、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝 えられ、この世で信じられ、栄光のうちに上げられた。 ――――――――――――――務めの言葉―――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) ある日、神ご自身がイエスという名の人に成られました。この人は、神聖な本質 から胎に入り、人の本質から、すなわち、神が人の中に創造した本質そのものか ら生まれました。これが意味することは、主イエスがあずかった人の本質とは、 神が何であるかにしたがって神によって創造されたものであったこと、すなわち、 神の愛、光、聖、義の現れを持った人の本質であったということです。 彼は地上におられた時、神聖な属性と人性の美徳とが組み合わされた生活を生き られました。これが最高水準の道徳です。最高水準の道徳とは、神聖な属性を伴 う神と、人性の美徳を伴う人とが組み合わされた命を持っている方の生活です。 わたしたちが最高水準の道徳と言うとき、伝統的な方法で「道徳」という言葉を 使っているのではありません。道徳によってわたしたちが意味することは、神が 要求する生活の水準のことです。 こういうわけで、神は創世記第2章において、命の木によって表徴されているご自 身の前に人を置かれたのです。これが示していることは、神の願いは、人が神を 命とし、それによって人が神聖な愛、光、聖、義の実際を持つようになるという ことです。これによって、人は最高水準の道徳にある生活を生きることができる ようになります。神によって創造された人は、そのような生活を生きることに失 敗しましたが、人・救い主である主イエスは、神聖な性質と人の性質を持ってお り、人の美徳において神の属性が表現される生活を地上で生きられたのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカによる福音書(一)」(1987年版)メッ セージ2から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。