キリストは角であり、昇る太陽である(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ1:68 「ほむべきかな、イスラエルの神である主。彼はご自身の民を訪れ、 彼らのために贖いを成し遂げ、(69節)彼のしもべダビデの家に、わたしたちのた めに救いの角を起こされました。(70節)それは、昔から彼の聖なる預言者たちの 口を通して、彼が語られたとおりです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 68節には、ザカリヤの預言の開始があります。ここでわたしたちは、ザカリヤの 預言が、神の民をその救いに至らせる神の贖いの動きについてであることを見ま す。神はキリストを、彼の人性においてはダビデの家の救いの角として起こし、 また彼の神性においては、彼の聖なる契約により、神の豊かなあわれみを通して、 高き所から昇る太陽として起こすことによって、彼の民の救いのために贖うよう に動かれました。ザカリヤの預言は、神聖であり人であるパースンと、人・救い 主の救いのみわざとについて、一層多くの光をもたらします。 ザカリヤの預言は、神の動きに関するものです。これは、神の民のための神の贖 いの動きであり、彼らの救いという結果になります。救いの角また昇る太陽とし てのキリストを起こすことによって、神の贖いのみわざは、神の民の救いという 結果になります。この救いの角(69節)は、救い主イエスです。彼はダビデの家か ら出てこられました。角は戦う力を象徴します。ですから、救いの角は、ダビデ の家における神の救いの戦う力です。「ダビデの家」という句は、この救いが人 ・救い主の人性の中にあることを示します。 70節でわたしたちは、救いの角を起こすことは、「昔から彼の聖なる預言者たち の口を通して」神が語られたことにしたがっていたことを見ます。これは御言葉 を守ることでの神の信実を言っています。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカによる福音書(一)」(1987年版)メッ セージ5から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。