わたしたちの割り当てられた分を享受する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ1:12 光の中にある聖徒たちに割り当てられた分にあずかるようにと、 あなたがたを資格づけてくださった父に、感謝をささげるように。(13節)父はわ たしたちを暗やみの権威から救い出して、彼の愛する御子の王国に移してくださ いました。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 今日の多くのクリスチャンとは対照的に、パウロはいやし、健康、住まい、家庭 生活、仕事などのゆえに感謝をささげたのではありません。そうではなく、彼は 「光の中にある聖徒たちに割り当てられた分にあずかるように」わたしたちを資 格づけてくださったことで、御父に感謝をささげました。コロサイ人への手紙は、 キリスト、からだのかしらに関してです。ですから、ここの聖徒たちの分とは、 彼らの享受のためのすべてを含むキリストです。御父がわたしたちを資格づけて くださったのは、天の大邸宅を受け継がせるためではなく、聖徒たちのすべてを 含む分としてのキリストにあずからせるためでした。わたしたちは、キリストが わたしたちのすべてを含む分であると、大胆に宣言することができます。 この節で「分」と訳されたギリシャ語は、良き地の割り当てに使われたへブル語 の言葉に相当します。イスラエルの子たちがカナンの地に入った後、各部族はそ の地の割り当てを与えられました。もちろん、わたしたちの分、わたしたちの分 け前は、今日のパレスチナにおける物質の土地ではありません。それは、すべて を含むキリストです。わたしたちは、キリストをわたしたちの神聖な分け前とし て与えてくださったことに対して、何と御父に感謝しなければならないことでし ょう! 各部族は良き地を割り当てられ、各部族のメンバーはこの割り当ての持ち分を得 ました。同じ原則で、わたしたちは聖徒たちの分を持ちます。これは、わたした ちがみなキリストの中で持ち分を持っていることを意味します。12節でパウロは、 わたしたちが得た聖徒たちの分が光の中にあることを指摘しています。ここの光 は、次の節の暗やみと対照的です。わたしたちはサタンの権威の下にいた時、暗 やみの中にいました。しかし今や、わたしたちは神の愛する御子の王国の中にい て、光の中で彼を享受しています。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(2004 年版)メッセージ第3編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。