わたしたちはキリストを知れば知るほど、ますます彼を愛する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ2:2 それは、彼らの心が慰められ、彼らが愛の中で結び合わされ、理 解力から来る全き確信のあらゆる豊富へと至るため、すなわち、神の奥義なるキ リストを知る全き知識へと至るためです。(3節)このキリストの中には、知恵と 知識のすべての宝が隠されています。 エペソ4:13 ついにわたしたちすべては、その信仰の一に、また神の御子を知る 全き知識の一に到達し、一人の完全に成長した人に到達し、キリストの豊満の身 の丈の度量にまで到達するのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― すべてのクリスチャンは主イエスを愛します。この事柄での唯一の違いは、彼ら が主を愛する程度です。後退した信徒でさえ、ある程度は主を愛しています。わ たしたちがどれほど主を愛するかは、どれほど彼を知っているか、またどれほど 彼に関して認識しているかにかかっています。例えば、子供はダイヤモンドの指 輪そのものよりも、それを入れる小箱のほうを評価するかもしれません。これは、 愛の程度は評価の程度によって決まることを示しています。主イエスを知り評価 すればするほど、ますますわたしたちは彼を愛するでしょう。ですから、わたし たちは前進して、主イエスをわたしたちの救い主また主としてだけでなく、神の 奥義として知る必要があります。 コロサイ人は、キリストに関して全き確信を持っていませんでした。そうでなけ れば、彼らは天使礼拝にそれたり、儀式、規定、哲学のようなものを取り入れた りしなかったでしょう。一方で、彼らはキリストを受け入れ、彼について何かを 知っていました。もう一方で、キリストについての彼らの知識は、理解力から来 る全き確信を伴っていませんでした。コロサイ人ははっきりと主イエスを信じ、 その信仰を保持していました。しかし、彼らは理解力から来る全き確信のあらゆ る豊富を持っていませんでした。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(2004 年版)メッセージ第18編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。