新しい人は新しくされつつある ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ3:10 新しい人を着たのです。その新しい人は、それを創造された方の かたちにしたがって全き知識へと至るように、新しくされつつあるのです。 エペソ4:24 あの実際の義と聖の中で、神にしたがって創造された、新しい人を 着たのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― エペソ人への手紙第2章で、新しい人は創造されたと告げられています。しかし、 コロサイ人への手紙第3章10節では、新しい人はそれを創造された方のかたちに したがって全き知識へと至るように、新しくされつつあると告げられています。 エペソ人への手紙とコロサイ人への手紙とは姉妹書ですが、それらが新しい人に 関して言っていることは全く同じであるわけではありません。どうしてわたした ちは、一方で新しい人は創造されており、また他方で新しい人は新しくされつつ あると言うことができるのでしょうか? 旧創造に属しているわたしたちは、新 しい人の創造にかかわっていたので、それは新しくされる必要があるのです。こ の新しくすることは、「全き知識へと至る」という句によって示されているよう に、おもにわたしたちの思いの中で起こります。 わたしたちの霊の中で、新しい人はすでに創造されました。新しい人が復活の中 でわたしたちの霊の中に創造される前、わたしたちは神の霊、あるいは神の命を わたしたちの内側に持っていませんでした。わたしたちは霊を持ってはいたので すが、わたしたちの霊は神聖な命を内容としていませんでした。しかし、新創造 が復活においてわたしたちの霊の中で起こった時、神聖な命を伴う聖霊がわたし たちの存在の中へと加えられました。その霊と神聖な命をわたしたちの霊へこの ように加えることは、新しい存在、すなわち、新しい人を生み出しました。こう いうわけで、わたしたちは、新しい人がわたしたちの霊の中で創造されたと言う ことができます。 コロサイ人への手紙において、パウロは「全き知識」という句を三回用いていま す(1:10,2:2,3:10)。コロサイ人の問題とは、彼らが間違った種類の知識を 持っていたということでした。彼らは、キリストにしたがっていない哲学を取り 入れていました。今や第3章10節において、彼は神のかたち、表現、豊満にした がった全き知識について語っています。新しい人に関して、わたしたちの思いは、 見えない神の表現であるキリストにしたがって、そのような全き知識へと至るよ うに新しくされる必要があります。わたしたちの思いは、神のかたちとしてのキ リストの明確な見解を持つ程度にまで新しくされる必要があります。コロサイ人 への手紙の中で明らかに示されているキリストの正しい理解を持っているクリス チャンは、ほとんどいません。彼らの思いは、そのような彼を知る全き知識へと 至るように新しくされてはいません。結果として、今日の多くのクリスチャンは コロサイ人と同じように誤って導かれ、惑わされ、たぶらかされているのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(三)」(1980年版) メッセージ28から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。