キリストの裁定する平安(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ3:15 そして、キリストの平安に、あなたがたの心を裁定させなさい。 このためにあなたがたも、一つからだの中に召されたのです。また感謝にあふれ ていなさい。 ローマ8:6 肉に付けた思いは死ですが、霊に付けた思いは命と平安です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第2編) キリストの裁定する平安についてのパウロの言葉は、疑いもなく彼の実際の経験 によって書かれたものでした。もしわたしたちが自分たちの経験を考えるなら、 クリスチャンとしてわたしたちの内側には二人または三人の当事者たちがいるこ とを認識するでしょう。こういうわけで、わたしたちには一人の裁定者が必要な のです。裁定者は当事者間の意見の不一致や論争を解決するために必要とされま す。ある問題に関して、わたしたちの内側の当事者たちの一人は、一つの方向に 傾くでしょう。ところが、他の当事者は反対の方向に傾くかもしれません。さら にまた、第三の当事者は中立であるかもしれません。わたしたちはしばしば、わ たしたちの内側の三つの当事者を意識します。積極的な当事者、否定的な当事者、 そして中立的な当事者です。クリスチャンとしてのわたしたちは、救われていな い人たちより一層複雑です。 救われるまでのわたしたちは、サタンの当事者の統制下にいました。わたしたち は内側に何の争いの感覚もなしに、この世的な娯楽や楽しみにふけることができ ました。しかし今や、わたしたちは救われましたから、一当事者はある事を行な うようわたしたちに勧めるかもしれませんが、別な当事者は何か他の事をするよ うにわたしたちに勧めるかもしれません。ですから、わたしたちの内側の論争を 解決する内面的な裁定の必要があるのです。わたしたちは、わたしたちの存在の 内側で起こる会議を主宰するある人、またはあるものを必要とします。15節によ れば、この主宰するもの、この裁定者は、キリストの平安です。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(四)」(1980年版) メッセージ29から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。