わたしたちは選ばれ、聖別された(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ペテロ1:1 イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパド キヤ、アジア、ビテニヤにまき散らされている寄留者たちへ、(2節)すなわち、 父なる神の予知にしたがい、その霊の聖別の中で、イエス・キリストに対する従 順と、彼の血の注ぎへと選ばれた人たちへ。恵みと平安があなたがたに増し加わ りますように。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) ペテロの第一の手紙第1章1節と2節に関して、わたしたちは三一の神の活動、力 を尽くす働きについて語ることができます。なぜなら、ここに御父の選び、その 霊の聖別、御子の贖いがあるからです。これら三つの働きは三一の神の活動です。 御父の選びは、この世の基が置かれる前になされました。この選択は神の予知に したがっていました。それから、その霊が神の選びを遂行するために来られます。 神の選択は永遠において、この世の基が置かれる前になされました。しかしなが ら、その霊の聖別は時間の中で起こります。わたしたちはあてもなくさまよって いましたが、その霊は神がわたしたちを選択することを遂行しました。結果とし て、わたしたちは悔い改め、信じ、そして十字架上でキリストによって流された 血の注ぎを受けました。こういうわけで、わたしたちは御父、その霊、御子の動 きを持ちます。これは、彼の選ばれた人々、彼の選びの民に対する神たる方の三 一の活動です。それは彼らが彼の完全な救いにあずかるためです。これは、第1 章1節と2節で啓示されていることに関する語りかけの一つの方法です。 同じ事柄に関する語りかけの別の方法は、三一の神の力を尽くす働きが、わたし たちを三一の神の享受の中へともたらすということを言うことです。神の完全な 救いにあずかるとは、実は三一の神を享受することです。三一の神を享受するとき、 わたしたちは恵みの中にあります。なぜなら、恵みはわたしたちが享受する神で あるからです。それはわたしたちが三一の神を享受することです。2節によれば、 この恵みは単に加えられるだけではなく、増し加わるべきです。さらに、恵みの 享受は平安という結果になります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ペテロの第一の手紙(一)」(1986年版) メッセージ2から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。