わたしたちは生ける望みをもって生かされる(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ペテロ1:3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの神また父。こ の方はその大いなるあわれみにより、イエス・キリストの死人の中からの復活を 通してわたしたちを再生し、生ける望みを持たせ。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 生ける望みは、命の望みです。特にそれは永遠の命の望みです。命は、望みの源 です。例えば、小さな子供は人の命を持っています。彼は命を持っているので、 彼の両親は、その子が成長するという望みで満ちています。誕生のとき、彼は数 ポンドの重さでしたが、彼の母は、彼が成長して一人の人として円熟することを 期待しています。彼女の望みは、命の望みです。 わたしたちは、生きていないものに対してそのような望みを持つことはできませ ん。例えば、わたしたちはいすに対して望みを持たないでしょう。だれもいすを 見て、「このいすは小さくて醜いが、わたしは、ある日このいすがもっと大きく、 また美しくなるであろうという望みで満ちています」とは言わないでしょう。そ の種の望みは全くむなしいです。しかし、両親がその子の成長するのを望むこと は、むなしいことではありません。この例証によってわたしたちは、望みが命に よることを見ることができます。生ける望みは、命の望みです。 死んだ人には望みがありません。しかしながら、もし命が死んだ人の中へ分与さ れ得るとしたら、彼は自分の肉体のあらゆる肢体が生かされるであろうという望 みを持つでしょう。原則において、同じことがわたしたちの再生にあてはまりま す。わたしたちが再生される前、わたしたちは死んでおり、望みがありませんで した。しかし、わたしたちの中へとまかれた永遠の命は、望みに満ちており、命 の望みに満ちています。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ペテロの第一の手紙(一)」(1986年版) メッセージ4から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。