わたしたちの天的嗣業を享受する(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ペテロ1:3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの神また父。こ の方はその大いなるあわれみにより、イエス・キリストの死人の中からの復活を 通してわたしたちを再生し、生ける望みを持たせ、(4節)朽ちず、汚れず、しぼ まない、あなたがたのために天に蓄えられている嗣業を得させてくださいました。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第2編) ここにおいて、わたしたちは重要な質問をする必要があります。この嗣業は今日 のわたしたちのためなのでしょうか、それとも将来のためにすぎないのでしょう か? 若かったころわたしは、この節の中の嗣業は、わたしたちが天で享受する ことになる永遠の祝福のことを言っていると教えられました。わたしはまた、こ の嗣業は今日のわたしたちの享受のためではなく、将来わたしたちが死んで、わ たしたちの「天国」に行った後に享受するものであると教えられました。多くの クリスチャンはこのように教えられてきました。他の人たちは、第1章4節でペテ ロは物質的なものの一時的な嗣業に対比して、永遠の嗣業について語っていると、 考えるかもしれません。この種の理解は全く天然的です。それには光または啓示 がありません。 この節は、嗣業はわたしたちのために天に蓄えられてあると確かに言ってはいま すが、嗣業は将来のためであるとは言っていません。しかしながら、わたしたち がこの節を読む時、この節は将来については何も言っていないのに、わたしたち の天然の思いがその中に将来の思想を注入するかもしれません。わたしたちは第 1章4節にある嗣業を、単に将来のためと見なすべきではありません。この嗣業は、 今日、明日、そして永遠にわたってわたしたちのためです。わたしたちが再生さ れた日以来、この嗣業はずっとわたしたちの受くべき分です。 嗣業は、正当で合法的な所有です。それはわたしたちのエネルギー、能力、行為 によって獲得されるのではありません。反対に、それは合法的な方法で、別のも のによってわたしたちに与えられます。わたしたちは嗣業のために働きません。 わたしたちはそれを受けます。再生された日、わたしたちは嗣業にあずかる権利 を与えられました。この嗣業は、永遠の命に関するすべての祝福を含んでいます。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ペテロの第一の手紙(一)」(1986年版) メッセージ3から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。