イエス・キリストの出現 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ペテロ1:6 今しばらくの間、あなたがたは、さまざまな試練によって悲しま なければならないかもしれませんが、その時には歓喜します。(7節)あなたがた の信仰が試されることは、朽ちる金が火によって試されることよりもはるかに尊 いのであって、イエス・キリストの出現の時に、賛美と栄光と誉れとなって現れ るのです。 4:13 むしろ、あなたがたは、キリストの苦難にあずかればあずかるほど喜びな さい。それは、彼の栄光の出現の時に、あなたがたも大いに歓喜するためです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 6節の中のさまざまな試練は、わたしたちの信仰の試しが主の出現の時に賛美と栄 光と誉れという結果になるためです。7節でペテロが「出現」という言葉を用い たのは意味深いことです。キリストは今日わたしたちと共におられます。しかし、 彼は覆われています。彼の来臨の時は、彼の出現の時でもあります。ある人たち は、主イエスは今日ここにおらないという誤った考えをしています。しかし、主 は確かにここにおられます。マタイによる福音書第28章20節は言います、「見よ、 わたしはこの時代の満了まで、日々あなたがたと共にいる」。主はわたしたちと 共におられますが、おおいの下でわたしたちと共におられるのです。 主イエスは事実、今日わたしたちと共におられます。あなたは、主がわたしたち と共におられることを信じませんか? わたしは、主がわたしの霊の中におられ ると証ししなければなりません。しかし、未信者の観念によれば、キリストはわ たしたちと共におられません。根本主義的で、真理の客観的な面を強調する信者 たちでさえ、キリストは遠く離れた第三の天で、神の右の御座におられると言い ます。これらの根本主義のクリスチャンたちの幾人かは、キリストがわたしたち の中におられることを信じていないかもしれません。しかしわたしたちは、わた したちの愛する主は天におられるだけでなく、わたしたちの内側にも住んでおら れることを知っています。 主は今、覆われているので、人々は彼を見ることができません。しかし、彼の来 臨は彼の出現であるでしょう。7節でペテロは、主の再来は今、彼を覆っている おおいが取り除かれることであるという特別な事柄を強調します。その時、あら ゆる人が彼を見るでしょう。その時に先立って、わたしたちは霊の中で彼を見る ことができます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ペテロの第一の手紙(一)」(1986年版) メッセージ6から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。