神の訪れ ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ペテロ2:12 また異邦人の間では、卓越した生活態度でありなさい。それは、 彼らがあなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたの良い行ないを自分の 目でよく見て、神の訪れの日に、神に栄光を帰すようになるためです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 「訪れ」と訳されたギリシャ語は、「エピスコペス」です。この言葉の基本的な 意味は、観察する、視察する、監督する、ながめるです。訪れの日は、羊飼いが 彼のさまよう羊を見るように、神が彼の寄留の民を見て、彼らの魂の牧者、また 監督になられる日です(2:25)。ですから、神の訪れの日は、神が監督する顧み の日です。簡単に言えば、神の訪れの日は、神がわたしたちを訪問しにこられる 日であると言ってもよいでしょう。神がわたしたちを訪問される時、それは訪れ の日です。 わたしはしばしば内側深くで、神が監督する顧みの中でわたしたちを訪問してお られるという感覚を持つことを証しすることができます。集会に次ぐ集会で、神 はわたしたちを訪問しにこられます。わたしたちの多くは、最近わたしたちが彼 を神聖な訪問者として経験していることを証しすることができます。 神は何をもくろんでわたしたちを訪問しに来られるのでしょうか? 彼はわたし たちを裁くために来られるのでしょうか? いいえ、神はわたしたちを裁くため に来るのではなく、わたしたちがどうしているか、また何をしているかをながめ、 また観察する目的でわたしたちを訪問されるのです。彼はわたしたちに、「いか がですか、あなたは何をしているのですか、万事うまくいっていますか?」と言っ ておられるかのようです。神の訪れは、牧者の訪れのようです。それは監督者の 訪れでもあります。ペテロが、主はわたしたちの魂の牧者また監督者であると言 うのは、こういう理由によるのです(2:25)。わたしたちの救い主は、牧者また監 督者です。彼はわたしたちをよくよく顧みるために、わたしたちを牧養し、また 監督されます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ペテロの第一の手紙(二)」(1986年版) メッセージ19から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。