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Subject:命の法則
Date:1998年9月1日火曜日
 

――――――――――――――聖書の節(回復訳)――――――――――――――
ピリピ1:21 なぜなら、わたしにとって生きることはキリストであり
ローマ8:2  なぜなら、命の霊の法則が、キリスト・イエスの中で、罪と死の法則から、わたしを解放したからです。

――――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――――
(2の1)
クリスチャンの命とは何でしょうか? クリスチャンの命とは、すなわちキリストです。キリストがわたしたちの中に生きておられるとはどういう意味でしょうか? それは、キリストがわたしたちの命となって、わたしたちに代わって生きてくださることです。わたしたちは主の力に頼って生きるというのではなく、主がわたしたちに代わって生きてくださるのです。これはわたしたちが享受することができる一つの嗣業です。神はキリストをわたしたちの命として与えられました。クリスチャン生活は自己の力を用いる生活ではありません。なぜなら、クリスチャンの命は一つの法則だからです。神はキリストを賜ってわたしたちの命とされました。この命は一つの法則であって、ごく自然に事をなすので、わたしたちは何もしなくてもよいのです。命の霊の法則がわたしたちの中にあるのです(ローマ8:2)。わたしたちが志を立てて何かをしようとするのではありません。一つの法則によって、ごく自然にするのです。わたしたちのこの命は一つの法則であることを知らなければなりません。もし法則でなければ、それには力が必要であって大いに努力しなければならないでしょう。しかし、それが一つの法則であるならば、何の力もいりません。また努力する必要もありません。例えば、あなたが手に何かを持っているとします。あなたが手を放すなら、それは必ず地上に落ちてしまいます。なぜなら引力の法則があって、それは地に引き寄せるからです。神に感謝し、賛美します。クリスチャンの命は一つの法則です。その法則はまったく自然にそれらのことを行ないます。神に感謝します。神はキリストをわたしたちの中に置いて、キリストをわたしたちの嗣業として賜りました。このキリストが自然にわたしたちの中で働かれるのです。わたしたちはただイサクのように、そのキリストを嗣業として受ければよいのです。(明日に続く)

――――――――――――――――――祈り―――――――――――――――――
父なる神よ、キリストをじぶんの嗣業として持っているとは、わたしは何と祝福されていることでしょう。わたしの命、また享受となるよう、彼をわたしに与えてくださり、感謝します。わたしが自己の努力を止め、彼が彼の命をわたしの中で生き出していただけるように、わたしを助けてください。アーメン。

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聖書の節は、回復訳聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、ウオッチマン・ニー著「アブラハム・イサク・ヤコブの神」(1993年版)の160ページから引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。